2012年 12月 06日
「古池に蛙は飛び込んだか」 |
いろんな本読みに追われて慌ただしいが、なかでも長谷川櫂(はせがわ・かい)氏の”俳句的生活”(=という書名の中公新書がある)に惹かれて日本語の言葉の美しさを味わいたいという気持ちが強いこのごろである。俳句を学びたいという差し迫った事情がある訳ではないが、先日小文に取り上げた読売新聞の「四季」欄の執筆者である長谷川氏の著書に「古池に蛙は飛び込んだか」(花神社)があって、歳時記や和歌や俳句や現代詩などが並ぶ書店の棚を覗くたび、その背表紙がひときわ目につくのである。こういう判じ物のような書名はとても魅力的なのだ。(昔、これと似たような、立川希代子著「ローレライは歌っているか」というハイネの旅の絵とバラードの本(せりか書房)があって飛びついたものだった)。長谷川櫂氏の「蛙」に話を戻せば、芭蕉の古池の句は「古池に蛙が飛び込んで水の音がした」と思われているが実は、「蛙が水に飛び込む音を聞いて古池の幻が心の中に広がった」という句であるらしい。そう、前の読み方なら何と言うこともない情景だが、後の読み方だとイメージ世界が広がるのである。ほかのことはさておき、この「蛙」だけで目が醒めた思いがした。そして愛読者のひとりになったのである。
by kumamotoyukioch
| 2012-12-06 21:52
| 文学