2014年 01月 14日
小正月 どんど焼 |
関西では1月15日まで松の内という。お正月の飾りがとれて日常生活に戻る。神社の境内では14日の夜や15日の朝に、窪地の周囲に青竹など立てて正月の飾りなどを積み上げて焚く。左義長というより「どんど焼」という方が親しい。
昔はわが家にも猫の額ほどの狭い庭があったので、芋を焼くほどの大きな「どんど焼」ではなかったが、注連飾りやうらじろに小さな火をつけた。注連縄は半分焼け、橙(だいだい)がいつも中途半端に焼け残った。今は火の用心から神社に持ち込むのが普通であると聞く。
同じ方向に用があったので、注連飾りを納めるために14日の今日、打出天神社にお参りしたのだった。わが家の飾りものは昔のように縄を編んだ太く重く立派なものではない。まるで手芸教室で作られたもののような軽く小さくデザインされたモダンな飾りである。雀もあきれて寄りつかない紙細工は、小さな願い事の軽さに比例してすぐにめらめらと燃え上がるだろう。そっと台の上に置いた。
三十代のご婦人の長い礼拝をうしろでじっと5分以上も待った。最初は欲張りなひとだ思った。しばらくしてその悩みの大きさを思いやった。ようやく拝礼を終えて振り返り、順を待つ参拝者がそこにいたことに気づいて、ご婦人は申し訳なさそうに低く頭をさげた。早く暖かい春が来るといい。
昔はわが家にも猫の額ほどの狭い庭があったので、芋を焼くほどの大きな「どんど焼」ではなかったが、注連飾りやうらじろに小さな火をつけた。注連縄は半分焼け、橙(だいだい)がいつも中途半端に焼け残った。今は火の用心から神社に持ち込むのが普通であると聞く。
同じ方向に用があったので、注連飾りを納めるために14日の今日、打出天神社にお参りしたのだった。わが家の飾りものは昔のように縄を編んだ太く重く立派なものではない。まるで手芸教室で作られたもののような軽く小さくデザインされたモダンな飾りである。雀もあきれて寄りつかない紙細工は、小さな願い事の軽さに比例してすぐにめらめらと燃え上がるだろう。そっと台の上に置いた。
三十代のご婦人の長い礼拝をうしろでじっと5分以上も待った。最初は欲張りなひとだ思った。しばらくしてその悩みの大きさを思いやった。ようやく拝礼を終えて振り返り、順を待つ参拝者がそこにいたことに気づいて、ご婦人は申し訳なさそうに低く頭をさげた。早く暖かい春が来るといい。
by kumamotoyukioch
| 2014-01-14 12:53
| 日常