2018年 06月 11日
ひとにはつげよ あまのつりぶね |
小倉百人一首 歌番号=11
さんぎたかむら
わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと
人には告げよ 海人の釣舟
わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと
ひとにはつげよ あまのつりぶね
《我流抄訳》
漁師の釣り舟よ わたしが
海原の島々をめざしたと
都には伝えてくれ
《我流意訳》
漁師の釣り舟よ
都のひとに伝えてくれ
わたしの舟はこのように
海原の島々をめがけて
《内緒話》
さんぎたかむら
参議 篁 (出典 古今集)
わたの原八十島かけて漕ぎ出でぬと
人には告げよ 海人の釣舟
わたのはら やそしまかけて こぎいでぬと
ひとにはつげよ あまのつりぶね
《我流抄訳》
漁師の釣り舟よ わたしが
海原の島々をめざしたと
都には伝えてくれ
《我流意訳》
漁師の釣り舟よ
都のひとに伝えてくれ
わたしの舟はこのように
海原の島々をめがけて
漕ぎ出して行ったと
この歌の作者小野 篁(おのの たかむら)は遣唐使に任ぜられたが船出しなかった。そのため隠岐の島へ流罪になった。遣唐使の船出ならば大勢の見送りがあっただろうが、罪人の船出など見送る者はいない。あたりにいる釣り舟の漁師たちに、都へのことづてを頼むしかなかった。悲痛な歌である。ところがこのひとの、文武に優れた才を惜しまれ、2年で都に戻され、参議にまでなった。
まあ、それからが大変だった。昼間は朝廷に出仕し、夜は地獄の閻魔庁(えんまちょう)に務めたという伝説があるそうだ。六道珍皇寺(ろくどうちんのうじ)は、京都建仁寺のあたりから清水寺に向かうとき、不思議なことにいつも突然、この寺の門前に至る。ここには小野 篁が夜ごと冥土へ通うのに使った井戸がある。それだけではない。冥土から帰ってくるときの「黄泉(よみ)がえりの井戸」も発見されたそうだ。ここは葬送地鳥辺野に至る道筋。この世とあの世を往き来する「六道の辻」の石碑が山門にある。お盆の「里帰り」には霊魂はこの「六道の辻」を利用する。送り迎えもここでする。「子」の字を12並べた謎々を読んだのも小野 篁だった。(ねこのここねこ、ししのここじし)(宇治拾遺物語)
by kumamotoyukioch
| 2018-06-11 20:44
| 文学