2018年 06月 24日
からくれなゐに みづくくるとは |
小倉百人一首 歌番号=17
ありわらのなりひらあそん
在原業平朝臣 (出典 古今集)
ちはやぶる神代もきかず竜田川
からくれなゐに水くくるとは
ちはやぶる かみよもきかず たつたがは
からくれなゐに みづくくるとは
《我流抄訳》
紅葉に染まる竜田川
この世のものと思えない
唐紅の艶やかさ
《我流意訳》
紅葉が水面に散り
竜田川の流れを
唐紅に染める
艶やかな色彩は
神代のものとも思えない
《内緒話》
【屏風の絵を見て詠んだ】古今集の詞書には「二条の后(藤原高子)が春宮の御息所だった時、屏風の絵、龍田川に紅葉が流れている図柄に寄せて詠んだ」とあります。描かれた屏風の風景をただ普通の言葉にするなら「紅葉が竜田川の水面に散り、川の流れを鮮やかな唐紅に染めています」で事が足りる。この絵にはこのような風景が描かれていますという説明である。
【実際の景色を見たなら感じられた思い】もし作者が、実際に紅葉の降りしきる竜田川の岸辺に立って歌を詠んだなら、そこにはどんな生身の感情が加わるだろうか。風があるのか、寒いのか、水しぶきをあびているのか、音を立てて水が流れているのか、鳥が鳴いているのか。だがしかし作者は、屏風の絵を見て空想を拡げなければならない。そこに描かれていないなにかを、思い浮かべなければならない。そして歌に、興趣を添えねばならない。
【景色の美しさの最大級の誇張した表現、神代もきかず】業平の歌の竜田川は、華麗で鮮やかな紅葉が、水面にびっしり埋め込まれた綾錦の、流れる色彩感でした。朱と白と灰色との「ちはやぶる神代」つまり神々が活躍した神話の時代の、光と闇の世界に置くことのできる色彩ではない。「それが神代もきかず」でしょう。業平の、不思議な空想の世界だからこそ、置くことのできた唐紅の華麗さでした。
【神代もきかず、わかりやすい現代語に置き換える】参考書には「あの神々が活躍した神代にも聞いたことがない」と訳されています。なんだか普通すぎてつまらない。ぼくは「神代もきかず」を「美しさは、この世のものとは思えない」(抄訳)と訳します。あるいは「美しさは、神代のものとも思えない」(意訳)と、ふたとおりの訳をしました。
【鮮やかな色彩感に隠された意味】この歌を捧げた二条の后(藤原高子)への、在原業平の恋慕の情が、熱く燃えるような紅葉の鮮やかな唐紅を流す竜田川と重なりあう気がします。それは屏風に描かれた絵の色彩よりもより艶やかな、いいえこの世はおろか神代の世界にさえあり得ない、熱い心の色彩だったことでありましょう。
ありわらのなりひらあそん
在原業平朝臣 (出典 古今集)
ちはやぶる神代もきかず竜田川
からくれなゐに水くくるとは
ちはやぶる かみよもきかず たつたがは
からくれなゐに みづくくるとは
《我流抄訳》
紅葉に染まる竜田川
この世のものと思えない
唐紅の艶やかさ
《我流意訳》
紅葉が水面に散り
竜田川の流れを
唐紅に染める
艶やかな色彩は
神代のものとも思えない
《内緒話》
【屏風の絵を見て詠んだ】古今集の詞書には「二条の后(藤原高子)が春宮の御息所だった時、屏風の絵、龍田川に紅葉が流れている図柄に寄せて詠んだ」とあります。描かれた屏風の風景をただ普通の言葉にするなら「紅葉が竜田川の水面に散り、川の流れを鮮やかな唐紅に染めています」で事が足りる。この絵にはこのような風景が描かれていますという説明である。
【実際の景色を見たなら感じられた思い】もし作者が、実際に紅葉の降りしきる竜田川の岸辺に立って歌を詠んだなら、そこにはどんな生身の感情が加わるだろうか。風があるのか、寒いのか、水しぶきをあびているのか、音を立てて水が流れているのか、鳥が鳴いているのか。だがしかし作者は、屏風の絵を見て空想を拡げなければならない。そこに描かれていないなにかを、思い浮かべなければならない。そして歌に、興趣を添えねばならない。
【景色の美しさの最大級の誇張した表現、神代もきかず】業平の歌の竜田川は、華麗で鮮やかな紅葉が、水面にびっしり埋め込まれた綾錦の、流れる色彩感でした。朱と白と灰色との「ちはやぶる神代」つまり神々が活躍した神話の時代の、光と闇の世界に置くことのできる色彩ではない。「それが神代もきかず」でしょう。業平の、不思議な空想の世界だからこそ、置くことのできた唐紅の華麗さでした。
【神代もきかず、わかりやすい現代語に置き換える】参考書には「あの神々が活躍した神代にも聞いたことがない」と訳されています。なんだか普通すぎてつまらない。ぼくは「神代もきかず」を「美しさは、この世のものとは思えない」(抄訳)と訳します。あるいは「美しさは、神代のものとも思えない」(意訳)と、ふたとおりの訳をしました。
【鮮やかな色彩感に隠された意味】この歌を捧げた二条の后(藤原高子)への、在原業平の恋慕の情が、熱く燃えるような紅葉の鮮やかな唐紅を流す竜田川と重なりあう気がします。それは屏風に描かれた絵の色彩よりもより艶やかな、いいえこの世はおろか神代の世界にさえあり得ない、熱い心の色彩だったことでありましょう。
業平は高子のもとに忍びます。伊勢物語「昔、男ありけり。ひむがしの五条わたりに、いと忍びて行きけり」のお相手は藤原高子です。朝廷の実権を握り、初めての関白になった兄、藤原基経(ふじわらのもとつね)は、天皇の女御として入内する高子に、業平を近づけたくない。ところが色男はあきらめません。見張りの眼を盗んで高子を誘拐し、引き戻されたあげく、東国へ追放されるのです。高子は清和天皇に入内し、すぐに貞明親王(後の陽成天皇)を産みます。都に戻ってきた業平と、二条の后(藤原高子)。その恋の行方はどうなるのでしょう。この百人一首歌番号=17の「ちはやぶる神代もきかず龍田川」は、業平が高子に捧げた歌です。
by kumamotoyukioch
| 2018-06-24 19:37
| 文学