ころもかたしき ひとりかもねむ |
ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん
後京極摂政前太政大臣 (新古今集)
きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに
衣かたしきひとりかも寝む
きりぎりす なくやしもよの さむしろに
ころもかたしき ひとりかもねむ
《我流抄訳》
こおろぎが鳴く
霜の降る夜
寒いむしろに
片袖を敷いて
ひとり寝るのか
《我流意訳》
霜の降りるこの寒い夜
こおろぎが鳴いている
わたしはひとり
粗末なむしろの上に
片袖を敷いて寝るのか
《内緒話》
普通に読めば、柿本人麻呂の「ながながし夜をひとりかも寝む」(三番)を想像してしまいます。こおろぎには山鳥の慕情まではのぞめませんが、雄が雌を求めて鳴くのは同じ。さびしく独り寝る夜になるのだろうかと詠えば、恋の歌です。ただ、ここまで百人一首を読んでくれば素直になれません。ついつい歌の情景を疑いたくもなってしまいます。いまここに、恋に悩むまさにその男が、心情を詠っているのではなく、霜の降りる寒い夜に、藁で編んだ粗末なむしろの上で、独り寝をする男の姿を頭に描いて、冷たく寒い秋の夜の、さびしさわびしさを、歌の世界にかもしだしたかった、そうではありませんか。
後京極摂政前太政大臣(ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん)藤原良経(よしつね)は。関白九条兼実(かねざね)の次男です。とても仮寝の宿できりぎりすの鳴き声を聞きながら、衣も脱がず、片袖を枕にごろ寝を決めこむ、そんなはしたない姿は名門貴族の現実の姿とは思えません。摂政・太政大臣になりましたが三十八歳で急死しました。早熟の天才で、藤原俊成に和歌を学び、和歌所の寄人(よりうど)となりました。新古今和歌集の仮名序(かなじょ)を制作、秋篠月清(あきしのげっせい)と号しました。祖父は七六番の法性寺忠通、叔父は九二番の慈円法師(父九条兼実の弟)です。