2018年 12月 10日
今昔物語抄訳 巻23第15話 |
無我夢中で賊を切り倒す話
今昔物語 試・抄訳 巻23第15話
今昔物語 試・抄訳 巻23第15話
ずいぶん昔になりますが、陸奥の国の前の国司で、思慮も深く、力も抜群にすぐれ、誰からも尊敬された橘則光(たちばなののりみつ)という人がいました。この人がまだ若くて、衛門府の武士と五位の蔵人を兼ねて勤めていたころの話です。夜がしだいに更けてゆく刻限に、馬にも乗らず、太刀を下げただけで、召使いの童ひとりをつれて、宮中の宿直所からそっと女のもとに通いました。御門を出て、大宮大路を南に行くうち、月は西の山の端に沈みかかり、暗くなった大垣のあたりから、声ばかりが聞こえました。
そこを行くやつ、とまれ。挨拶なしで通るつもりかと言いながら、走り寄ってくる者がある。則光が地面にうつぶしてすかして見ると、弓は見えず太刀ばかりがきらきら光っている。飛び道具は持っていないようだから、少し安心してうつぶせのまま逃げようとすると、敵は追いかけて走ってくる。頭を打ち割られるかと怖くなって不意に横手に身をかわすと、相手は勢いに乗って前のめりになり、たたらを踏むのをやり過ごして、太刀をくらわせた。
あいつどうしたと言いながら、また走ってくる者がある。太刀を鞘に収めるひまもないから脇にはさんで逃げ出すと、敵は先のやつより足が早い。今度は不意にその場に石のようにしゃがむと、そいつはつまずいてばったり倒れたから、太刀で脳天を打ち割った。やれやれと思ううち、逃がすものかと走り寄る者が、もうひとりいた。今度こそもうだめかと、太刀を走ってくる相手に向けて、鉾のようにまっすぐ持ち、不意に立ち上がったから、敵は正面から衝突して、則光の太刀がずぶりと敵に突き通された。則光は、太刀を持ったほうの敵の手を、肩から切り落としておいた。
敵はもういないようだ。走って待賢門を入り、柱を背にしてしばらく童を待っていると、泣きながらやってきたので、宿直所に着替えを取りに走らせ、太刀についた血をよく洗い落としたりして、なにくわぬ顔で宿直所に帰って寝たが、この事件が自分の仕業だとわかったらどうしたものだろうと、夜のあいだじゅう、心配しておちおち眠れなかった。
夜が明けると、さあ、たいした評判。大宮大路と大炊(おおい)の御門との辻に、大の男が三人も切り倒されているぞ。それがあきれるばかりの見事な太刀さばきだ。殿上人さえも、さあ見に行こうと出かけて行く。則光は行かないつもりであったが、誘われて行かないのも怪しまれるものと、しぶしぶついて行くことにした。現場には、赤く血走った目の、髭だらけの男が、猪の毛皮をかぶせた鞘(さや)の太刀をつけ、鹿の皮の沓(くつ)を履いて立っていて、あの男が敵を切り倒したと申しておりますと、下男たちが報告したのだった。
その時、則光は内心おかしくてならなかったが、その男が名乗り出たおかげで、事件をそいつのせいにすることができた。まずはやれやれ助かったと思ってうれしくなったと、年老いてから子どもに話して聞かせたのが、このようにいまに語り伝えられたものである。
ちくま文庫「今昔物語」より試・抄訳
by kumamotoyukioch
| 2018-12-10 19:08
| 文学